白壁の町に住み継ぐ家

第四章 着工 第一章第二章第三章|第四章|第五章第六章第七章第八章第九章

第一節 OB宅見学会

3月12日、F建設のOB宅見学会へ行きました。入居から3年が経過していて、造りも和風であることから、両親共々興味が持てた様です。

お目当ての和室では、広縁あり、仏壇収納と床の間もありと、参考になる造作が目白押しでした。観音開きの仏壇間の襖の戸が中に引き込まれる様子を、実物を見て確認もできました。書院も本格的な出書院になってまして、これを見た母はやはり出書院にしようと思ったそうです。

和室の手前の板間にあった掘りごたつにも入り、これも欲しくなってしまいました。後に導入を検討したのですが、父がリビングに入れることに反対した為、実現には至りませんでした。

リビングの南側窓のブラインド内蔵ペアガラスサッシも、母が気に入ったアイテムです。後から聞くとさほどコストには響かないと言うことで、リビングの南側サッシに採用することにしました。

キッチンはラジエントヒーターの電気コンロで、まるで使っていない新品の様に綺麗な状態に感心してしまいました。今だとIHを採用するところでしょう。

最初にここを見ておけば良かった、というのが両親とF建設双方の談話です。

 

第二節 契約

間取りもほぼ固まり、予算の目処もつきそうな見通しが立ったところで、F建設と正式に請負契約を交わしました。3月27日、大安の日取りを選んで行いました。

契約の前に、間取りの最終決定を行いました。懸案だった和室の縁側奥及び書院を、縁側奥押入を奥行き1/4間に、書院を3/4間の平書院にすることに決まりました。
そのあと契約自体は父が書類にサインして捺印するだけで、淡々と済みました。

この時、完成予定が2001年2月末になることがわかりました。既に住宅ローン減税延長が決まっていたので、その時期で問題はありません。それより今時の建築でも1年近くかかることに驚きました。

その後4月7日、第一回の支払いを、総額のおよそ1/3に当たる金額の支払いを済ませました。この時は営業をされている奥さんが同席し、馴れた手つきで札束の勘定をしていました。現金でこれだけの額を目の当たりにするのは初めてです。契約の時以上に、いよいよこれから始まるのだ、という思いが沸き上がってきました。

 

第三節 解体

工事はまず母家の解体から始まります。母家を解体して更地にし、そこへ蔵を一旦移動させて蔵の基礎を作ります。それから蔵を戻し、その後母屋の基礎を作ることになります。
解体が行われる前に、和室の床柱を切り取っておきました。いずれ何かに利用しようと考えてのことです。木は松で、裏側は幾らか虫に喰われてしまっていました。

4月4日、解体に先立ち、水道等の配管工事を請負うC設備が来て、工事用水栓を敷設したついでに母屋の洋式便器(洋式に改装してから3年と経っていない)と、台所のガスボイラを取り外して持って帰ってくれました。これらはいずれ子世帯で利用するものです。
同じ時F建設の大工さんも来て、間取り図を見ながら家の様子を見ていました。

4月7日、解体を担当するS興業が来て、解体工事開始となりました。ただ、この日は一応の形だけで、隣家との養生を施しました。9日には解体作業用のユンボが運び込まれました。

4月10日、新一の小学校入学式の日です。あいにくの雨模様ですが、解体には埃が立たず好都合な天候だそうです。この日が本格的な解体の開始でした。
朝から11tのユンボが来て、解体を始めました。入学式を終えてお昼前帰ってみると、母屋の北側東半分は既に解体されていました。お昼からもユンボのエンジン音、太い梁の軋む音、柱や壁がガラガラと倒れる音が絶え間なく続きました。近所の人達も傘を差して見に来ています。ここで生まれ育った新家のおじいさんは特に名残惜しげにその作業をじっと見守っていました。
「機械ですりゃぁ、わきゃぁねえ」。

4月10日、母屋二階北側より解体される。

作業していたユンボには前面のガラスがありません。どうしたことか尋ねてみると、午前中の解体の時、太い梁を壊している時にそれがはねてガラスにぶち当って割れてしまったからだそうです。「おじいさんが怒っとったのじゃろうか」と、後に家族で話していました。これだけ歳月の経っている家なら、普通はユンボで鋏んだだけでくにゃっと材木が潰れるのですが、この家の梁は全然へたっていなかったので潰すのにも骨が折れたと、解体業者の方が言われていました。

そうして母屋は一日で跡形もなくなり、瓦礫の山と化してしまいました。

翌11日は、瓦礫の撤去と蔵との境目の解体が行われました。12・13日は瓦礫の撤去が行われ、長屋に残っていたガラクタも片付けてくれていました。14日には長屋と蔵を残す為、母屋と繋がっている梁をチェーンソーで切るといった、手作業で解体する部分も幾らかあり、手間が相当かかったと聞きます。作業は15日夜7時近くまで続きました。

4月16日早朝、解体跡にきれいな土を入れていました。本来なら前日までに終えられているはずでしたが、地鎮祭ぎりぎりで何とか間に合った格好になりました。長屋と蔵が残り、広い空き地ができました。

 

第四節 地鎮祭

地鎮祭は地元の熊野神社というところへ、工務店の方からお願いしてもらいました。初穂料を包み、お供えとして用意したのが野の物・山の物・海の物として、野菜・果物・海産物、それにお米です。お供えの海産物には鯛も用意しました。近所の魚屋に頼んでいた、天然物1.3kgの瀬戸内の鯛です。お酒と塩は工務店で用意してくれました。

朝10時頃Fさんと奥さんも来られ、しばらくして神主さんもワゴン車で来られました。Fさんは土地の四方に杭を打ち、縄を張った笹を立てます。神主さんは祭壇を組み立て、お供えを並べました。
朝に土を入れたばかりなので、地面がフワフワして足を取られます。

地鎮祭の儀式は約45分でした。鍬入れは父と私と新一が行い、玉串奉奠は家族全員に加え、たまたま泊まりに来ていた従兄弟の圭一郎君も参加しました。

玉串奉奠の後、二礼二拍手一拝。

少し肌寒い風も吹いていましたが、無事地鎮祭を終えられました。

お供えは神主さんが持って帰られました。今晩のおかずは鯛の刺身だと楽しみにしていた新一は当てが外れてたいそうガッカリしていました。

その日の夕方、近所へ工事の挨拶周りに両親と共に行きました。こちらで用意した大手饅頭と、F建設で用意したタオルとハーブティーセット、OMソーラーパンフレットを配りました。

第五節 雨水タンク

倉敷市へ引っ越してきてから水道料金がかさむのに参っていました。お隣の岡山市にいたときは、基本料金だけで済んでいましたが、こちらではそうはいきません。数年前全国的な水不足だった時でも、岡山市は制限なしだったのに、倉敷市では8時間給水でした。

そういうわけで節水には気を付けておかなければならないと思っていました。住宅雑誌の雨水利用の特集を見たとき、ちょっと検討してみようと思い、そこに載っていた業者のホームページにアクセスし、問い合わせをしてみました。県外の業者なのですが、倉敷市では雨水タンクを設置したら補助金が出ること、近々倉敷市の建材業者主催の展示会で出品するといったタイムリーな内容のメールを貰い、後日カタログも送ってもらいました。

その展示会に13日、出かけてみました。メールをくれた担当者直々に話を聞くことが出来、単価は少々高いと感じましたが補助金が出るとなると見逃す手はありません。

工務店のFさんもそれを見てきたそうです。そして畑の水やりと洗車に使うことを想定し、採用することに決めました。と思っていたらなんと、Fさんは工務店の事務所にそれを早速設置してしまいました。ホームページでも雨水利用のページが追加され、その様子が紹介されています。

 

第六節 家曳き

母屋のあった場所が更地になったので、いよいよ蔵の移動が行われます。
「家曳き」専門に行う人達が来て作業を行いました。総勢5名ほどでしたが、皆定年を過ぎた様な年配の方ばかりです。

まず、蔵の骨組みを固定します。

柱の両横に穴を開け、そこへコの字型の鉄骨を2本通して、反対側の柱共々挟み込んで固定します。これを井の字の様に組み、柱が動かないように固定してしまいます。
このとき床板を外しましたが、20枚程で張られていた板がきちんと揃えられた寸法の長方形ではなく、元々の木の曲がり具合・大きさにそっていて、一つとして同じ形がないながらうまく組み合わされており、「とても今はこんなこと真似できない」と工務店のFさんは感心していました。

次に蔵を持ち上げます。

固定した鉄骨の下側に、幾つかのジャッキを備え付け、少しずつ少しずつジャッキアップしていきます。ある程度上がるとジャッキの土台を追加して、更に持ち上げます。こうやって地上から7〜80cm程持ち上げました。

持ち上げる作業自体は1時間程度で済んでしまいました。

4月21日、いよいよ蔵を曳きます。

まず曳く方向に材木でレールの様な道をこしらえます。蔵の土台との間には直径4cm位のコロを幾つも挟みます。

鉄骨にワイヤーを掛け、引っ張り用のエンジンで曳き始めます。動力は3psのトラクター用ディーゼルエンジンで、これに軽四のミッションを組合せたりして大きく減速し、秒速1〜2cmの非常にゆっくりした速度で曳きます。時々停止させては、曲がって曳いていないか確認しながらの作業です。

蔵移動
4月21日、蔵が移動した後。

こうして蔵は移動させられました。元の石の基礎が露わになっていましたが、その上面は平らにはなっていません。石に凸凹のある部分は、蔵の土台側を削って合わせ込んであったのです。現在だと機械切削で平面を出すところですが、Fさんは「とても今はこんな仕事はできない」と半分感心・半分あきれていました。

5月の連休の晴れた日には、動いた蔵を前にして、バーベキューを楽しみました。敷地が広々としていたその時期だからできたわけです。

5月10日、蔵の乗っていた基礎石は撤去され、代わりに新しいコンクリート基礎が作られ始めました。ここは普通の家の場合と違い幅が広く、20cmという太さがありました。


5月19日、蔵が新しい基礎の上に戻る。

5月13日蔵の基礎が完成、5月19日再び蔵が引き戻され、新たな基礎の上に座りました。以前より少し高くなっています。

 

第七節 長屋の基礎

当初長屋は地面にコンクリートを敷き入れ、基礎はいじらないで済ませる様に考えられていました。しかし梁の高さを詳しく見てみると、長家の離れ部屋の方より土間の方が一段低くなっていることに気がつきました。そのまま地を上げるだけだと頭が梁にぶつかってしまいます。

そうなってはまともな部屋として使えなくなることから、結局長屋を持ち上げることになりました。工務店側が見逃していた部分でもあった為かかる費用は折半で、という提案がありましたので、こちらとしても費用は上乗せになるがやむを得ない、というよりその方が良いだろうと判断し、了承しました。

今度は蔵より大きな建物になるので、持ち上げるだけといっても補強をしておかなければ持ちません。材木で筋交いを何本か渡して柱同士を固定していました。

5月24日、蔵と同じ様にジャッキで1m近く高く持ち上げられました。


5月24日、長屋は高く持ち上げられて、向こう側が見えている。

5月26日、Fさんが来て古い長屋の基礎石を見ていましたが、昔建てられたときの墨付けが残っていて、それが5mmとずれていないことがわかりました。特に固定もしておらず、地震等で僅かずれただけの様です。

5月31日、持ち上げられたその下側に基礎が築く為の外枠が組まれました。
給排水およびガスの配管が、基礎を作る過程で埋め込まれていました。
基礎を作ると言っても、すぐ上に長屋の壁があるので、作業はとても窮屈そうに見えました。

こうして基礎が完成し、6月6日持ち上げられていた長屋が降ろされました。元の長屋の柱は土台なしで直接石の基礎に乗っていたのですが、今度は基礎の上にきちんとした土台(アピトン材)が乗せられているので、その上に乗せられて金具で固定されました。
蔵と長屋が新しい基礎に乗ったことで全体に高くなったので、前よりりっぱに見えるようになってしまいました。

6月9日、長屋の土壁の一部を撤去しました。これは蓄熱コンクリートを流す作業をやりやすくする為、先に崩しておくそうです。同13日、土壁が取り払われて向こう側が見える様になった骨組みの様子を撮影してHomepageに載せていたところ、それを見たFさんは急遽翌日補強を入れに来ました。筋交いが入っていないので壁を取るとかなり弱いそうで、Homepageの画像を見て「ヤバい」と思ったそうです。この時の補強の一つに、松の大きいまぐさを入れてくれました。これは完成後も表に出る材になります。

ここの床はOMソーラー床暖房適用範囲となるので、盛り土をして防湿シートを敷き、その上にスチレンフォーム断熱材を置き、その上からコンクリートを10cm程度流して蓄熱層とするのです。

6月13日、蓄熱層となるコンクリートが流し込まれ、長屋の基礎はできあがりました。

 

第八節 母屋の基礎

そろそろ建て前(上棟式)が気になり出す6月15日、いよいよ母屋の基礎をこしらえにかかります。
西側はOMソーラー対応、東側は通常の基礎という、二つの面を持った基礎になるわけです。

6月16日、まず全体の布基礎が作られました。基礎の位置関係はレーザーで測られていて、水糸を張ったりしなくても正確な寸法が出ていました。型枠が組まれた時点で間取りの様子がわかるようになってきます。

西側は長屋と同じ様に蓄熱コンクリート層がこしらえられます。その上面高さはほぼ基礎の面と同じで、床下には土台の厚み分だけしか空間が開かないことになります。おおまかな空気の通り道は”ピット”と呼ばれていますが、そこは40cm程度の深さを持った溝になっています。
OMソーラーのしくみ上、床下にはファンで空気が流されることになりますから、この部分には換気口は開いていません。

東側は基礎の内側に盛り土がされ、防湿シートをしいた後にコンクリートが流されました。いわゆる防湿コンクリートというものです。そろそろ梅雨の季節、小雨降る6月28日、母屋基礎工事完了しました。
Fさんが言うには、普通基礎ができた段階では、
「こんなに小さい家なのか」
と思えるのだそうです。けれど
「基礎だけ見てもやっぱり大きい」
と言われてしまいました。今まで手掛けてきた中でも最大かもしれないとのことです。


6月30日、建て前を間近に控えて土台完成。

6月30日、基礎の上にアピトン材の土台が置かれ、アンカーボルトで固定されました。また長屋と蔵の瓦の撤去も行われました。”家曵き”をしたときに瓦がずれていて、落下の危険があるからだそうです。

翌日には資材の搬入が開始されました。ほとんどの部材はプレカットしてあるものです。いよいよ明日は家が立ち上がる日です。

 

目次冒頭へ第一章第二章第三章|第四章|第五章第六章第七章第八章第九章


Home食材外食献立レシピ厨房家事節約DIY建築|Audio|Mac近況横顔瓦版