白壁の町に住み継ぐ家

第五章 建前 第一章第二章第三章第四章|第五章|第六章第七章第八章第九章

第一節 準備

最近では地鎮祭や上棟式をせずに済ませる例も多いと聞きます。しかし私達の場合、百年以上一族が住んでいた土地の家の建て替えですし、「御諸神講」と言って地元の神々を奉る寄り合いを年に数回行う土地柄ですから、そういう儀式はするものと決まっていました。

ですから日柄を選ぶのはもちろん、家族・親戚が出席できる土日祝日に行うことも必然と言えました。

上棟式のことを工務店では「建て方」、こちらの方では「建前」、私の田舎の方では「棟上げ」と呼んでいました。

お祝の式ですから、母は早くから準備に気を揉んでいました。F建設に話を聞いてみたりして、当日大工さんは皆車で来るので宴会はしない、お昼は施主側で用意する、お礼とお土産として折詰めと酒小瓶を全員に渡す、ということにしました。親戚に配る祝いにも同じ折詰めを用意しておきます。

お昼の弁当は、以前不祝儀でお膳を頼んで好評だった総社の前田料理店で大工さんの人数と家族の分+αを注文、折り詰めは赤飯と焼き鯛を「みよしの」に25セット頼みました。それに添える二合瓶酒は酒屋で熨を付けたものを同数用意しました。当日休憩とお昼の時間に出す飲み物やお菓子等は、前日迄にスーパーの安売りの時に買い揃えておきました。冷蔵庫も前日迄に空きを十分取っておき、飲み物を冷やせる場所を確保しておくことも忘れずに。

また地鎮祭と同じ様に、野のもの・山のもの・海のもののお供えとして、メロン・バナナ・オレンジ・大根・人参・じゃがいも(自家製)・茄子(自家製)・鯛・昆布・するめ、を準備することとしました。鯛(\3,500)も地鎮祭の時と同じ近所の魚屋で頼んでおきましたが、季節柄か養殖ものになってしまいました。祭壇へ供えるお酒も2升用意しておきました。

何より梅雨に入って天気が心配でした。一応7月2日日曜日を候補として、雨なら8日(土)に延期する予定としました。いずれにせよお天道様次第ですから、前日の朝に天気予報を睨んでその日に行うかどうか決めることにしていました。

日柄を殊の外気にする母は、2日が赤口なので心配していました。しかしFさんによると、六輝は江戸時代からの風習で根拠も歴史も浅いことから気にする必要はなく、むしろ他の暦の方が大切だと教えてくれました。高島暦によると、中段が「たいら」、二十八宿が「房」で、どちらも建築には吉だそうです。

 

ところで、季節は既に夏ですから、私は普段からTシャツを着ています。ふと思いついて、建前当日に着るTシャツをシャレで作っておきました。白のTシャツの背中に名前をアイロンプリントしたもので

SHOJI
HIRAMATSU

と、名前に入っているOMをOMソーラーのロゴマークにしたデザインです。これを私と妻の分をこしらえました。新一は名前が該当しないので、別のOMソーラーのイラストをプリントしました。

 

第二節 餅投げはしない

家を建て始める前は「建て前には餅を撒かんといけんかなぁ」という話も出ていました。地鎮祭を終えた頃から建て前をどうするかという現実的な話をする頃になると、

・いつも米を分けて貰っている親戚に、餅を投げられる程の量の餅米は頼んでいない。
・大袈裟にしするのは恥ずかしいから、配るだけにしたい。
・本家の建て増しの家でも餅は撒いていない。
・お供え餅(四方と中央)は親戚の家でこしらえてくれるのを使わせていただく。
・近所や親戚には紅白の小餅と袋菓子を建て前の挨拶として配る。

という、餅投げはしない方針で母と妻がまとまり、父もそれに同意していました。

私は地元の餅屋である「もちの黒川」に問い合わせ、餅の値段とついでに餅を撒く相場というのを聞いてみました。少ないところは1斗(10升)、多いところは何俵も撒くそうです。4、5日前に予約を入れてくれれば大丈夫で、もし当日都合悪ければ、翌日に延期することも可能ということでした。

餅は1升で20袋あります。配るだけなら2、3升注文すれば足りるという事になりました。

 

第三節 餅投げの思い出

私の小さい頃、よく近所に家が建てられていました。そこは格好の遊び場で、落ちている木切れを拾い、これも落ちている釘でもって、石を金づち代わりにして色々なものを作っていました。船を作って川へ浮かべて遊ぶのが楽しかった憶えがあります。

「今日餅投げがあるらしいで」と聞くことも珍しくありませんでした。学校から帰るとすぐに現場へかけつけます。大勢の友達も近所の大人達に混じって来ており、どこで待っていたらたくさん拾えるかワクワクしながら相談していました。

当時は餅を裸のまま投げていました。その後紅白の餅を一組にして小袋に入れたものを撒くようになりました。家の角の四方には大きな鏡餅が据えられ、その中には御祝儀としてお金が入っています。最初にその鏡餅を投げますから、我先にそれを取ろうとして人々が押し合ってきます。背の小さい私達子供が拾える筈もないのですが、それでもそれを取りたくて大人の渦の中に入っていったものです。

やがて餅が投げられはじめると、子供等は上を見上げて「こっちこっち〜」と声を張り上げ催促します。それを尻目におばさん達は地面を這うように落ちた餅を素早く拾い集めています。こちらも負けずに拾おうと手を伸ばして指が餅に触れた途端、横からサッと伸びてきたおばさんの手に餅をさらわれてしまうので、もたもたしているとなかなか集められません。

たくさん餅やお菓子を拾えたこともありますし、全然拾えなかった事もありました。
中でも、友達が棟へ上がり餅を投げているのを、下からとても羨ましく見上げていた記憶が鮮明に残っています。

そういう事々によって、『いつか自分も屋根の上から餅を投げてみたい』という希望が生まれていたのだと思います。

ちなみに妻は、今迄一度も餅投げは経験したことがないそうです。

 

第四節 抜け駆け

家を建てること、これはもう一生に二度とないことになるでしょう。
そのチャンスに幸いにして巡り会うことはできました。
建前では餅投げはしないことで家族で話は通っていました。

しかし、、、

『ここでしなかったら一生後悔する』

 

その思いから、私は定額貯金を叩いて餅を2俵注文しました。
同時に撒くお菓子も、近所の問屋に勤めている人に注文しました。

その晩母から電話があり、餅を手配したことを告げました。
私:「餅、2俵頼んどいたで」
母:「ふ〜ん、2升で足りるかな。」
私:「いや2升じゃなくって2俵。」

その後少々言争いになりましたが、自腹を切ることを強調し、なんとかわかってもらったつもりでいました。

翌日母に会った時、昨日の電話はなかったかの様に、改めて猛反対されてしまいました。けれど私はもう動じません。
妻は
「この人は、こうすると口に出したら動かん、絶対そうする。」
と諦めた口調で漏らしました。さすがによくわかってらっしゃる...

こうして餅投げを強行することにしたのです。

事前に色々相談に乗ってもらった隣のじっつぁんに餅投げをすることを報告したら、撒くお菓子を5箱用意してもくれました。

 

第五節 建前の日

心配された雨も降らず予定通り7月2日に建前を行うことになりました。夏の日射しが降り注ぐ晴天の当日、朝7時を回った頃から物音がし始めました。
慌ただしく朝食を済ませ着替えて表に出ると、もう隣のじっつぁんが庭に置いてあった縁台に腰掛けて見物しておりました。

クレーンで梁を持ち上げ、立てた柱の上に据え付け、長い棒の先に大きな木をつけたもので下から梁を柱に叩き込んでいます。その音が近所に響き渡っていました。


作業は順調に進み、午前中に1階の柱と梁が組み上がりました。
「大きな梁を使うんじゃのう」
と、じっつぁんも感心してくれてます。

真壁となるところが多いので、柱は全部紙で保護されていました。母屋の柱は全て桧四寸です。

午前中の内に、近所の親戚がお祝にお酒を持ってきてくれました。一升瓶が2本3本入った箱が並び、結局お酒9升、ビール1箱を戴きました。

 

11時頃、頼んでいた仕出し弁当(赤飯付き、前田料理店、\1,000)18人前、上巻きずし3本が届きました。休憩用とお昼用に準備した飲み物は、ウーロン茶2リットルPET1ケース、緑茶PET1本、スポーツ飲料PET2本、コーヒーPET900ml1本、缶サイダー1ケース・缶コーヒー2ケース、ビール350ml1ケース、でした。

お昼には冷たいペットボトルのお茶と缶ビールを添えて、弁当を出しました。ちょうど長屋が空いているので、そこへコンパネを並べてテーブル代わりにしていました。

お昼の弁当も不意の来客用に余分を頼みましたが、お昼時に来客はなく、余分は家族で昼・夜の食事になりました。ビールは思った程売れませんでした。休憩の時では一番人気が合ったのがポカリスエットやアクエリアスといったスポーツドリンク、次がお〜いお茶等の緑茶、麦茶・ウーロン茶と続きました。ペットボトルのコーヒーは作業する大工さんには人気がなく、見ている自分達や下で監督しているFさんが飲んでいました。

私は午前中のうちに餅屋へ出かけ、紅白の小餅が入った全部で16の箱を受け取ってきました。そこからお土産に回す分をよけて、投げる分は2俵弱(紅白小餅一組が1500個)となりました。

お昼過ぎには一つ五合の鏡餅を頼んでいた親戚が、それを届けに来てくれました。これで準備は全て整いました。

 

第六節 梯子を登って

作業ははかどりましたので、予定より少し早い4時頃から上棟式の準備が始められました。
餅の入った箱とお菓子の入った箱を皆で運び込み、大工さんにも手伝っていただき、棟の上に運んで行きました。
ほどなく準備が整ったので、親族は上に上がる様言われました。
私は三脚に載せたビデオカメラを担いで梯子を上りました。

既に祭壇がこしらえられていて、祝いの扇がまん中に据えられています。その周りに山のもの・野のもの・海のものと餅、御神酒と米と塩が供えられています。


右:平松章治、中央:祝詞を上げるFさん、左:隣のじっつぁん

出雲大社手斧神社の法被を着たFさんが祝詞を上げます。他の人は出雲大社手斧神社と書かれた細長い布を首から下げています。
二礼二拍手一拝をして、御神酒が配られ、乾杯が行われました。
その後、Fさんが大工さんの紹介を、じっつぁんが親族の紹介をしました。

父と母は棟へ上がらずに下で見ていました。上に上がったのは私・妻(後で聞くと普通女は上がらないらしい)・小僧と、じっつぁん、新家のおじさんとその息子さん、私の実父、それに新一の従兄弟の圭一郎君です。

東南西北、中央の順に鏡餅を投げます。棟の角にそれぞれ餅を持って行って貰い、下へ投げていました。この鏡餅は隣近所の人々が拾った様です。


知人撮影ビデオ映像より、餅投げ開始時の様子。

それが終わると小餅を一斉に投げ始めました。下で待っていた人達が袋をかかえて駆け寄ってきます。袋菓子も盛大にばらまきます。餅は柔らかかったので、怪我をする様な事はありません。キャッチボールよろしく宙取りする人もいました。とはいえ人数に対して餅が十分すぎる程あったので、頭や背中に爆撃を喰った人は少なくなかった様です。投げる方の気分は猿カニ合戦の猿、というところでしょうか。
大人も子供も、持ってきていた袋を皆一杯にして帰って行きました。

思っていたより短い時間でお祭りは終わりました。

大工さんに、これからの工事をよろしくお願いしますという思いを込めて、お土産とお礼を渡しました。

大工さんが帰られた後、餅投げを下からビデオ撮影するために来てくれた友人に、家の様子を案内しました。2年程前に結婚とほぼ同時期に家を建て、私と同じく@niftyやwebで情報を集めていた彼でしたから、OMソーラーの基礎の仕組みを興味深げに観察していました。

夕方、家族で手分けして親戚の家に建前の報告がてら、祝いの品を届けに行きました。

 

桧と杉の匂いがいっぱいの現場に立つと、やっとこれから家が現れて来るのだなと、感慨も新たに沸き上がって来るのでした。 

 

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