白壁の町に住み継ぐ家

第八章 待ち遠しい春
第一章第二章第三章第四章第五章第六章第七章|第八章|第九章

第一節 眠れぬ新年の夜

来るべき新時代の象徴だった21世紀が遂にやってきました。我が家にとっても新しい生活が間もなく始まるであろう、輝かしい門出の筈でした。ところが...

お正月気分の抜けきらない6日未明、時期をほぼ同じくして新居を建設中だった義妹一家の家が、全焼してしまいました。深夜午前3時前、玄関戸を叩いて怒鳴る隣のじっつぁんに叩き起こされてその事態を知り、急遽現場に駆けつけたものの既にほとんどが燃え尽きていて、僅かに見られた炎を消防車の放水が消しているところでした。

施主宅と両親へ連絡し、しばらく後に彼らも現場へやってきました。焼け落ちた家を呆然と見つめながら警察の取り調べを受けていたその時は、これが現実だとは心底からは実感できずにいた様子でした。

火事
朝、現場検証の様子。

翌朝現場検証が行われました。出火原因は結局特定できず、放火の疑いが強いという事になったそうです。ただ、家には既にサッシが全て入っていて、鍵もかかっていたそうです。
屋根の垂木はほとんど燃え落ち、基礎の土台まで燃えていて、熱で溶けて曲がっていたアルミサッシが炎の勢いを物語っていました。

施主側には金銭的な負担はかからずに再建されることになりました。しかし、一度火事に遭った土地にマイホームを建てることへの不安が顔を覗かせていました。

放火と言うことになれば、我が家の方も急に不安に思えてきます。とりあえず現場は施錠して貰う様、工務店に連絡しました。

 

第二節 1月

さて我が家の工事は5日が仕事始めとなりました。月末の見学会へ向けて、子世帯ゾーンの内装工事中心に進められます。
6日、長屋の南側壁の補強の為、松の梁が南北方向に2本取り付けられました。元々あった東西方向の梁と合わせて、吹き抜け部分は井型に梁が組み合わさる格好となりました。木は同じ松ではありますが、新しくついた梁はかんなをかけられて白く綺麗な材なので、古い赤茶けた梁とはあまり馴染んでいません。
9日、長屋と母屋の2階同士をつなぐ渡り廊下の両側に手すりが付きました。下から見上げるとちょっと面白い眺めになりました。
この日塗装屋さんが来て、柿渋塗装について打ち合わせをしました。聞くところによると、塗装屋さんも柿渋を塗るのは初めてだそうです。翌日には柿渋の塗装が開始されました。窓を開け放って塗っていると、通りの方まで柿渋の臭いにおいが漂っていました。。
12日、親キッチンとリビングの壁が張られました。蔵と同じホワイトウッドの床板を、こちらは縦張りにしてもらいました。それと共に頼んでいたキッチンのテレビ台も付けて貰いました。部屋のコーナーの高さ約190cmとかなり高い位置に取り付けて貰ったその台は、食堂かラーメン屋を連想させる、あまりセンスのいい場所とは言えないかもしれません。もちろん電源コンセントとアンテナ端子も、その台の上側に出されています。

外回りは、壁の漆喰塗りが続いています。1月中旬は一年でも最も気温の下がる頃で、水道管が凍ってしまい、左官仕事に差し支える日も幾日かありました。

16日から玄関の庇工事に取りかかり、まず梁の刻みが始められました。
翌日朝、もみじの大きな枝が庇と干渉するので、枝を切るか庇を切り欠くか棟梁に聞かれました。両親へ電話して相談し、庇の格好を優先して枝を切ることにしました。かなり太い枝を切りましたので、それは後で何かに利用しようと思い、捨てずに残して置いて貰っています。
19日には庇の銅葺きも出来上がり、赤く光る派手な庇が玄関先に現れました。雨に当たって緑青を吹く様になるまで、当分かかりそうです。
22日からいよいよ和室の造作にかかります。木工事も最終段階に入ってきたわけです。

24日、見学会を目前にして、設備がいろいろ搬入されました。まず自分で設計した子世帯キッチンのシンクが入ってきました。予想以上に綺麗に磨かれたステンレスが眩しく光ります。単独で見ると奥行き75cmというのはかなり大きく感じられます。造りの頑丈さは申し分なく、これがビルトイン食洗機と同程度の値段だというのはかなり安いと実感できました。

夕方には建具も一通り搬入されました。後で聞いたのですが、それらは未塗装の状態なので、全部白っぽい色をしています。

親キッチン&リビングでは天井のクロス張り準備の為、パテ塗りが行われました。

午後5時過ぎごろFさんがOM協会の方を連れて来られました。見学会前に確認する為に来岡されたそうで、古い長屋を改装した点やフォルクスハウスで使う板壁を柿渋塗りしたところなどに興味を示されていた様でした。

25日、親キッチン&リビング天井のクロスが張られました。オフホワイトの塗り壁調のクロスが張られると、部屋はぐんと明るくなりました。後から追加したキッチンの天窓から見える青空が、天井の白さに映えます。

 

第三節 現場見学会

26日、見学会を翌日に控えたこの日は慌ただしくも長い長い一日になりました。

朝からトーヨーキッチンからシステムキッチン一式が搬入され、早速組み付けにかかっていました。Fさんによると、トーヨーキッチンは現場組立が大変多く、他のメーカー品に比べて納入の手間がすごくかかるということだそうです。夕方までかかった作業では全てを組み立て終わるところまで行かず、大型収納庫とカウンター収納の組み付けが残りました。

OMソーラーの床暖房を体験できる様にする為、灯油ボイラーとタンクが搬入されました。当日の天気予報が思わしくないので、補助暖房設備は外せません。貯湯タンクも展示のために置くだけ置かれていました。久々に来た配管屋さんが、灯油ボイラーとファンコンベクターの配管を行いました。電設屋さんは照明スイッチとコンセントのプレートを取り付けました。
子世帯キッチンでは、薄型換気扇が取り付けられました。本体が壁に取り付けられただけで、配管はされていません。

蔵の外壁の漆喰もなんとか塗り終えられまして、足場が外されました。これで外回りは一応のカタチがつきました。

前々日に納入されている建具の取り付けが最も手間がかかりました。それぞれ取り付ける場所に応じて戸の寸法を鉋がけして修正し、蝶番等の金具の調整も慎重に行われていました。

工務店のFさん・Tさんも遅くまで建具屋さんの作業が終わる迄つきあっていました。結局帰られたのは夜11時半だったのです。

 

27日雨、午前8時頃から準備が始まり、道沿いに「OMソーラー」の幟が立てられました。今まで何度も見学会で見てきた幟が、我が家を案内するものとして立てられたのです。

この日は新一の学芸会があったので、午前中は親子共々小学校へ行っていました。

昼前に戻ってみると、小雨が降っているにもかかわらず、見学に来ている方々がおられました。
昼食を済ませて中に入ってみました。親リビングにテーブルが置かれ、OMソーラーの資料や施工事例のアルバムが並び、片隅に置かれたTVにはOMソーラーPRビデオが流れていました。工事中の和室ゾーンとの境目には、冷気が入ってくるのをある程度防ぐ目的で、厚手の透明シートがぶら下げられていました。
Fさんと営業をされている奥さん、それにもう一人Fmさんが説明、Tさんは外で駐車の案内をしています。

ほどなく雨が上がると、近所の人達がこぞって見に来ました。ここは工務店の方を煩わせてはいけません、から、私達の方で応対することにします。
その後もかなりの人が来られました。「いつもならお昼過ぎに人が切れる時間があるんだが、今日はなかった。」ということで、まずまず盛況だったという一日目でした。

見学会の様子
日曜日の見学会風景、リビングからキッチンを見たところ。

翌28日、午前9時前にFmさんとKさんが説明員として二人来られていました。Fさんと奥さんは、この日別の家の地鎮祭があるので、そちらを済ませてから来る予定です。
朝から陽射しも出て、OMの棟温度もどんどん上がっていきます。午前中に最高54℃まで上昇しました。お客さんもひっきりなしに来られます。この日は子ども会でお世話になっている近所の奥様連が来られまして、そちらの応対をしていました。

さて、地鎮祭を済ませられたFさんと奥さんも合流しましたが、その施主さんのというのが、ここから歩いて10分くらいの近所に住んでいる嫁さんの元同僚なのです。その方がお昼前に家族共々来てくれたので、いろいろ話を伺いました。Fさんとはもう何年も前からOMの家について話をしているというベテランで、そのため家に関するこだわりは並ではありません。例えば住宅設備では、調査のため大阪・姫路から九州に至るショウルームにまで足を運んだそうです。その結果、キッチンはトーヨーキッチンで、食洗機はホシザキに決めたということで、思わぬ共通点が出て意気投合し、話に花を咲かせました。

その後お昼前に、親戚のおじさんを連れて父母がやって来ました。そのおじさんも家についてはちょっとウルサイ様だったのですが、壁や床の節目のある木の板を使っていることを褒めてくれました。両親は内心節目のあるのが気になっていたのですが、この方に良く言って貰えたことで、少し安心していた様子でした。

私は午後も見学会の場に残り、見学客からの質問を受けて過ごしました。ピーク時には工務店の方だけではまかないきれなくなってもいたからです。応対をしていると様々な意見を聞くことが出来ました。「クロスではない木の内装が落ち着く。」「ベニヤの壁は嫌、私は漆喰がイイ」「引き戸だけど床にレールがないのがいい」等々を聞くにつけ、自分達の家がどんなものなのかを客観的に見直せたということは収穫であった様に思えます。

見学客に書いて貰ったアンケートがこの日だけで31通集まったそうです。書いていない人や、同伴の人の数を勘案すると、130人は来ただろうということだそうで、予想以上の結果と言えそうです。午後6時過ぎに終了、片付けが終わってからケーキと珈琲を出してスタッフの皆さんの労をねぎらいました。

 

第四節 2月

大きなイベントだった見学会が終了し、いよいよ工事も仕上げの段階に入っていきます。こちらの方もそろそろ新生活に対しての準備を始める時期となり、まず注文していた東芝ドラム式洗濯機が到着しました。家電品はその後親世帯用オーブンレンジ、子世帯用オーブントースター、ブレッドメーカーを購入しています。

29日、トーヨーキッチンのスタッフが来て、残っていたカウンター収納と食品庫の据え付けを終えました。これで以前こしらえていた模型と同じキッチンが出来上がったわけです。キッチンパネルは後から施工されることになります。
左官工事は蔵の庇の漆喰塗りが終わり、母屋2階外壁の漆喰下地モルタル塗りが始められました。
見学会で養生を解いていた床は再度養生され、和室周辺の材料置き場となりました。

母屋の2階をどう使うか、を以前から夫婦で考えていたのですが、その結論として親世帯階段上に本棚コーナーを、3部屋続いた子供部屋には南面一列にカウンター風の机をこしらえることにしました。ただ机を造り付けてしまうと後々模様替えに困りそうなので、簡単な構造の置き机を考案しました。日の字と田の字形のラックを支えとして、その上に天板を渡す構造です。天板は3分割として、内2枚は部屋の前後方向に置ける様な寸法にしました。この「ユニット机」の図面が30日に出来上がってきました。
翌日には2階階段上の本棚もほぼ完成しました。ここは見栄えの良い大判の図鑑を置ける様、大きめの棚を造って貰い、その横に文庫本棚をこしらえて貰いました。

和室の方では縁側・廊下のラオス松の板が張られました。すぐに養生をかけられていましたから、全体の廊下の感じを掴むのはしばしお預けです。2月に入ると、壁下地プラスターボードが張られました。それが済むと親世帯側の階段が組まれました。こちらの方が2階の床が高いので、子世帯側の階段に比べてやや勾配がきつくなっています。

6日、基礎表面の化粧が施され始めました。黒い色に刷毛引きの筋が付けられてゆきます。同じ日に蔵の樋と、後から付いた玄関庇の樋も付けられました。玄関庇の樋は銅製で、これまた派手に光っています。
10日、配電盤が裏玄関土間の壁に取り付けられました。回路数をかなり増やしたので、32のブレーカーが並ぶ大がかりな配電盤になりました。
建国記念日の11日、母が知人に紹介してもらったカーテン屋を呼びました。部屋の雰囲気を見て貰ってどういうものがいいかコーディネートしてもらえるかと期待していましたが、年配の男性だったせいか、そこまではかないませんでした。サンゲツとタチカワのカタログを預かって、こちらで検討することとしました。カーテンは定価の半額、スクリーンは3割引という話です。
14日、玄関や勝手口の土間の仕上げについて打ち合わせしました。玄関は御影石を、勝手口と蔵口は濃いグレーの150mm角タイル張りとしました。いずれも見積よりはオーバーになります。

15日、母屋2Fにユニット机が搬入されました。
材質はラバーウッド,ゴムの木の集成材で天板は30mm厚、収納棚は24mm厚です。短い天板でも長さ2.8mありますから、一人でなんとか持てるかという重さです。窓際に並べると長さ9mを越える机が現れました。後に見た人達には「塾ができるな」と冷やかされます。
ユニット机 
2階子供部屋に運び込まれたユニット机。天板を支えている棚は自由に動かせる。

午後、電設工事も行われ、玄関にインターホンがついていました。

この頃、トイレや洗面所のクロス下地コンパネが張られていきました。ここいらは後々釘を打ったりしやすい様に、石膏ボードでなくコンパネを下地に使うのがここの工務店の流儀だそうで、後々そのありがたみが出てくることでしょう。

21日、和室の床柱が備えられ、だんだんと床の間らしくなってゆきます。廊下の天井も張られ、天窓の周囲には杉板が打ち付けられました。
22日、子世帯キッチンのキッチンパネルが取り付けられました。こちらはアイカの木調柄のパネルにしています。

この頃玄関周りで一騒動ありました。以前「玄関を入った正面の壁に一輪挿しなどをちょっと飾れる台(洋風に言うとニッチ)が欲しい」と聞いていたので、ある日大工さんに相談してこれをこしらえて貰うことにしました。ほどなくヒノキの枠で幅30cm×高さ60cm奥行8cm程度の飾り棚が、玄関から入ってすぐ見える6畳和室の壁につけられたのです。
ところが出来上がったのを見た母は、これはダメだと言い出しました。現在の家の玄関にぶら下げている長い色紙掛けが入らないからというのです。元々一輪挿し程度が置ける小さな棚で良いと言っていたのに、「花を置いたら水も花も変えたりしないといけないから面倒くさい。」と頭からひっくり返されてしまいました。私は「わざわざ大工さんに頼んで作って貰ったのに、それを取ってくれとは自分の口からはとても言えないし、他の人にも言って欲しくない。」と反論しました。しかし結局は母の言い分が通り、後日この飾り棚は外されることになってしまったのです。おかげでしばらく大工さんと顔を合わせ辛くなってしまいました。

23日、縁側の天井が張られ、床の間では地袋がこしらえられていました。床の間の造作もほぼ出来上がりつつあります。この日午前中に母が来たらしく、お茶の釜他が置いてありました。そろそろ炉の位置決めにかかる様子でした。
26日、親寝室の天井が張り終わり、6畳間の天井にかかっていました。ラスボード壁に石膏下地を塗る作業も続いています。床の間正面上部に、掛け軸を吊す金具3ヶがついていました。この金具の内両側の金具はスライドするようになっていて、掛け軸を1〜3枚掛けるときそれぞれにバランス良く並ぶ様に調節できるわけです。
27日、6畳と8畳の天井が張られ、茶釜を吊す釘も取り付けられた。
28日、床の間の造作が終わり、木工事が一応終了しました。
午後塗装屋さんが来て、母屋2階床を塗装していました。オスモは乾くのが早くないので、しばらく立入禁止となりました。
3時前父が様子を見に来ていました。棟梁に神棚について訊ねてみますと、実は神棚は材料を用意してくれていたのですが、あと数センチのところで長さが足りず使えなかったので、もう一度別のものを持ってくるということです。
父はいつの間にか採用になっていた畳下床下収納について棟梁と相談していました。24日午後から25日にかけて私達家族は出かけていたのですが、その間に寝室床に畳下用の床下収納を入れることを決めてしまっていた様です。契約前にもこれを採用するかどうかは相談していたのですが、畳には上敷を敷きたいという母の要望(当然上に敷物をするとその下の収納は使えなくなる)と、コストも10万は越えることを理由に却下したのです。なのに今となって相談なく採用されたのにはさすがに力が抜けました。当然根太を切断したり束を追加したりする余分も発生することになるでしょう。
「床下収納を付けるからには、その畳の上には敷物を敷かない様に。」と釘を差すのが関の山です。

 

第五節 3月

大工さんの仕事はほぼ終わり、家も見た目には出来上がっていました。契約時の引渡期日は2月末でしたが、種々の工程が増えたことで、予定は先送りになっています。それでも私達は当面困るわけではないのですが...。

困るのは先々月火災に遭って、建築をやり直している義妹家族です。この春竣工予定でその時に引っ越してくれば、ちょうど小学校へ入学する甥っ子はこちらの学校へ通えたのです。しかし今となっては竣工は夏頃、子どもの入学を含めてどうするか、家族で相談しました。
その結果、4月には今現在私達家族が住んでいる借家を明け渡してそこに義妹家族に仮住まいしてもらい、上の男の子は4月からこちらの小学校へ、下の女の子はすぐ近所の保育園に通うことにしました。そういう事情を説明して工務店の方にも4月から生活できるようにして貰える様、お願いしたのです。

1日、縁側奥の物置棚と子世帯キッチン換気扇囲いをこしらえて大工さん達は引き揚げて行かれました。来週以降に床下収納庫をこしらえに来る予定です。左官工事は和室周辺の聚楽壁の下塗りが続いています。
蔵土間と勝手口土間のタイルが張られました。グレーの150mm角のタイルにしました。
2日、タイル張り作業が引き続き行われ、表玄関では御影石が敷かれ始めました。和室の壁下塗り作業も続いています。この日午後、Fさんが照明プランを持って来てくれまして、幾つか打ち合わせをしました。早速預かった照明器具カタログと睨めっこして、各部屋の照明を本格的に考え始めました。
3日、玄関先土間の敷石が張られました。同じく玄関先庇樋の排水工事も行われていました。室内の、子キッチンの床タイルも張られました。こちらは82mm角の小さいサイズの濃いめのベージュを選び、床板に近い色合いとしました。重たいガスコンロを載せる為にタイル張りにするわけです。張り終わったタイルを見ると、一列少ない様にも思えました。これは後日追加されていました。

9日、親洗面所と便所のクロスが貼られました。便所は壁が全て竹クロスになっています。竹のクロスは腰迄の筈で、その上は和紙調クロスの筈なんですが。翌日壁の間違いを修正、更に天井のクロスを張りましたが、今度は洗面所の天井クロスを間違えていまして、こちらも後日修正して貰いました。
この日夕方Fさんに照明変更プランを渡しました。6割程度は提案していただいたものをそのまま採用し、後の分を変更しました。トータルではややコストダウンにはしています。ほとんどは和風の照明で、母屋2階は全て提灯型照明とし、色もキッチンと風呂・洗面脱衣所以外は電球色としました。試験的な意味合いも含めて、蔵の1階にはコイズミの管型白熱灯であるリネストラランプを採用しました。これはランプ定格が130Vでカタログに記載されていることから、実際の明るさが読み切れないので付けてみるまでわからないものとなっています。

11日、家族で打ち合わせをしました。というのもそろそろ引越計画を具体化しようと思っていた矢先、「仏壇より先に荷物を運び込んではならん」という親の意見が出ましたので、それらについて話し合いをしました。仏壇は大きくて重いので引越業者に移動を頼む家具リストに入れています。そうすると他の手で運び込める小荷物より後に運び込まざるを得ないのです。そこで坊さんに予め引越をする旨を仏壇に拝んで貰い、先に荷物を運び込んでも良い様にしようということに決まりました。
13日、久々に大工さんが来て水屋の造作にかかりました。分厚い杉材を棚板にして、予想以上に丈夫でしっかりした水屋になりそうです。
午後から床下収納の方の工事にもかかっていました。床下を上げてみると、防湿コンクリートを削らないと床下収納ユニットが収まらないことがわかり、更に手間がかかることになってしまいました。
14日、母が大工さんと床の間へ打つ釘の位置について相談していました。その釘とは小さい花活けを掛ける為の釘で、お茶の席での決まり事になっているそうです。母がこれの通りにしてくれと出した資料には”床から三尺三寸から六寸の高さ”と記されていて、棟梁は「これでは寸法が決められない」とイマイチ決まり切らなかったのです。これの位置が定まるにはまだもう少し日数が必要な様でした。
16日、配管屋さんが来て、外を掘って給排水の配管工事をしました。まず雨水の排水を設けましたが、樋が多いので何カ所も掘り返して、かなり大がかりになっている様でした。
また、和室の室内は聚楽塗りが始められました。

そろそろ日程も煮詰まってきたのか、休日でも誰かがやってきて作業をこなしていく様になってきました。まず18日日曜日には、工務店のTさんが来て、親寝室の床下収納が収まる部分の防湿コンクリートをはつっていました。草野球の帰りに寄ったそうで、ユニフォームのままでの作業でした。

20日春分の日には、左官屋さんが来て、聚楽を塗っていました。
昼前から塗装屋さんも来て、見切りの柿渋、カウンターのオスモ塗装をし、床塗装の準備もしていました。翌日施された床の塗装は、オスモのフロアクリアーです。
夕方Fさんも和室欄間のサンプルを持ってきてくれました。厚みが一寸五分のものと二寸のものです。
午後4時過ぎには予定通り坊さんが来て仏壇を拝んで行きました。これから私達の家の荷物をせっせと運び込むことになるのです。

23日、子世帯LDKの真打ち?オザキのガスレンジが納入されました。大人4人でやっと持てるかどうかという重量で、据付には苦労されていました。
この日、親キッチンで残っていたガスレンジ前と左のステンレスパネルが張られました。板金屋さんは一昨日来たのですが、床を塗装したばかりで入れなかったので、この日出直してきたのでした。
夕方照明の業者が来て何品か納入していきました。電設屋さんがさっそく取付にかかります。
翌24日には、和室〜親世帯、ホール、玄関灯がついていました。
午後から建具屋さんが、表玄関のヒノキの下駄箱を持ってきて据え付けました。柱と同じ色の下駄箱は、その存在を主張せず、控えめに佇んでいる様です。

この日広島南西部で地震がありました。後に芸予地震と名付けられています。この時母屋2Fで本を片付けていましたが、揺れは大きかったものの揺れ方がしっかりしていてフワフワした感じがなかったので、落ち着いていられた記憶があります。その後も本を運び込む作業を続け、翌日25日日曜日は日がな一日本棚へ納める作業を続けました。ほとんどの本が埃を被っているので、それを雑巾で拭きながら納めるのに予想外の手間がかかりました。

27と28日にかけて美装が行われました。引渡にはまだかかりますが、私達が住み込む前に綺麗にしてくれるそうです。窓ガラスに張られていた注意紙が取られ、透明に磨かれました。
美装に並行して、水道工事とガス工事が行われました。

29日には朝から大勢の人が来ていました。久々に大工さんが来られ、OMダクトの補強下地貼り込みと、親寝室の床下収納庫の設置を行いました。懸案だった床の間の釘も打たれていました。
配管も大方済まされ、ホシザキの接続もなんとかできた様です。夕方には水道が繋がり、親キッチンの食洗機が試運転されていました。但しシーガルIVだけはどちらの台所にも未接続のまま、お預けです。

作業が行われる横で、私は荷物の運び込みと、子世帯キッチンの収納を担うホームエレクターの設置を行いました。ここは高さ95cmのカウンターを作って貰っていただけですので、その収納プランをいろいろ考えた末、カウンター上部はホームエレクターで仕切ることにしたのです。レイアウトはイラストを起こして決めていましたが、実物を見ながら棚板の高さを調整していきました。
LDK収納
黒のホームエレクタを使ったラック。下部引き出し左側は松下電工C'madeユニット、右はセシール他で扱っているスライド食器棚。

電設屋さんもスイッチプレートの取付を行っています。ただ絶縁試験でOM制御回路が2MΩしか取れずNGと判断しました。この件をFさんに連絡したところ、OM協会から回答があり、制御回路上で電源とアースとの間にアース接続を怠った場合の雷サージ対策として2.2MΩの抵抗が接続してあるので、絶縁抵抗が2MΩ前後になるのは正常である、ということだそうです。

30日、次の日にはひとまず家を義妹家族に明け渡さなくてはならないので、春休みの小僧にも頑張って貰い、自分達の荷物を運び続けました。子世帯リビングの掃き出し窓を入ったところにに養生シートを敷いて、そこへ荷物を一旦置いてから雑巾で埃を拭き、持って行く部屋に運んでいきます。なんとか1階は荷物を整理することが出来ました。

この日も電設作業は続いています。一部の照明器具は明日納入されるものもあります。

31日、お昼前から義妹家族が当面の荷物を運び込んできました。親戚の手を借りて、軽トラで大きい荷物を持ってきています。その時に手を借りて、私達の冷蔵庫を運びこんで貰いました。本来なら手伝ってあげるべきところなのですが、こちらも引越継続中で、とりあえず今夜からこちらへ泊まれる準備もしておかなくてはいけませんから、どうしても自分達の荷物の整理に手を取られるばかりでした。

電設作業は今日も急ピッチで進んでいます。照明の数も結構ある為手間がかかり、結局この日に予定されていた電気の開通は翌日に持ち越しとなりました。さすがに電気が通っていないと寝るのにも不便ですから、荷物を運び終えた義妹の家に転がり込んで、こたつで一夜を過ごさせて貰いました。昨日迄は自分達の家でしたが、今日からはよその家になっているのです。

 

第六節 引越準備

さて、私達の引越について時間を少し遡って話を進めましょう。引っ越し先が隣家でもありますから、手で運べる荷物はできるだけ自分達で運び、大物家具だけ引越業者に頼むという方針でおりました。そして3月末には家を明け渡すという前提から引越期日を29日に決めて、業者の見積を取ってみることにしました。

まず16日に@niftyのマイホームフォーラムのサービスである、引越あんしんサービスに申込みメールを送付しました。この時前回養生が甘くて一番大事な家具をぶつけられたサカイはパスしています。
真っ先に連絡があったのはアークでしたが、岡山県は業務範囲外との事。次にアートからTEL、見積も一番乗りで来て貰いました。荷物をざっと紹介し、作業員3人+αの午後便で¥9万強、これは引越あんしんサービス利用ということで、特別な割引対象になっています。まずはこの価格を叩き台にして比較してみます。
次はハトのマークの引越専門。作業員5名でアートより\1,600安い値段です。値段的には一番でした。次に来たゼイアールはアート+¥1万と出たので順位は下がります。
引越あんしんサービス経由で申し込んでいるのに連絡がなかったクロネコヤマトには、こちらから電話しました。見積に来ても当然?引越あんしんサービスの事は御存知無い。作業員6名と最も多いが値段はアート+4万と高く、敢え無く予選落ちとなりました。
もう1社、松本引越センターに見積を依頼しました。前々回引越で利用して、問題なく引っ越しできた事があります。作業員4+α、アート+1万でした。

さてここでアートかハトのマークかという結果になりましたが、財務大臣=妻の稟議がおりません。そこで引越日を来月の第2週、ピークを過ぎた時期にして更に安くする様、要請がありました。大臣自ら義妹に、引越業者に移動を頼む大型家具類を一時置かせて貰う様断りを入れたのです。

再度期日を変えた場合の見積を取ったところ、¥6.3万と最も安かったのが松本で、他社と¥1万以上の差額があった為ここに決定しました。引越日は4月9日としました。翌日は入学式でもありますから、それ迄には済ませようとも考えたからです。

 

目次冒頭へ第一章第二章第三章第四章第五章第六章第七章|第八章|第九章


Home食材外食献立レシピ厨房家事節約DIY建築|Audio|Mac近況横顔瓦版