白壁の町に住み継ぐ家

第九章 新しい生活へ
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第一節 入居、引越

当初予定していた3月末迄に引越するのを延期した為、片付けには少し余裕が出てきました。というより、3月中に引っ越すのには準備不足だった事を痛感していたというのが正直な所です。

4月1日日曜日、新居の片付けを行いつつ、電設作業の残りも行われていました。午後になり電気が使えるようになってボイラーの試運転も行われ、ソーラー給湯用の不凍液注入が終わった頃には日が暮れていました。夜になって洗面所の照明スイッチが未配線のままになっていたのが見つかって、一旦帰っていた電設屋さんを呼びつけて作業をして貰ったりして、なんとかこの日からお風呂に入れるようになったのです。今迄より随分大きくて広い浴槽に身も心もゆったりとつかる事が出来ました。
夜の照明もこの日全て確認できました。子世帯LDKの自作和紙シェードもまずまずの出来、吹き抜け用の照明も思った以上に綺麗に天井を照らしてくれています。

この日初めて新居で眠りました。2階の寝室の床に直に布団を敷きましたが、下の階のOMによる暖房が利いて2階の床も冷たくなく、むしろ前の家より随分温かく寝ることが出来ました。

2日から、荷物を片付けながら日常生活に戻れるようにしていきます。天気の良い日は食器棚の隙間に置くトレイ棚や新たに追加することにしたオーディオラック等のDIY、雨の日は買い物に出かけて台所用品や小物収納用品を調達していきました。
7、8日は引越前の土日です。嫁さんと片付けをしながら家具のレイアウトの相談をします。LDK上・寝室奥の納戸はスペースは広いけれど壁際は天井高が低く、天井の太い梁がタンスを置くのには邪魔になりますし、その上ある程度空間を残しておきたいという要望もあった事から、なかなか簡単には決まりません。そこで以前作っていた自作整理棚を梁に合わせて切り欠く様に加工し、うまく空間を使えるレイアウトできる様にしてみました。

引越当日の9日、午前中に「午後3時から6時の間に開始になります」との連絡があり、その通り午後3時ちょうどに作業員がやってきました。社員4名、アルバイト2名の様です。まずリーダーに荷物の運び場所を説明、それが済むと養生が始まりました。要所要所にブルーのクッションシートが被せられます。家具類はキルティングで包んで運びます。
ほどなく運搬作業が始まりました。作業員は4人+アルバイト2人。運搬はリーダーが中心になって行います。「はい、持ち上げます。」「降ろします。」とかけ声は基本的に丁寧語を使用されており、しっかり教育されていることが伝わってきます。もっとも後半になってくると「そうじゃねー言うとろーが」なんていう言葉が小声で聞こえてもきましたが。
嫁さんの嫁入り箪笥を運ぶ時の事、箪笥本体と土台に分解していたら、「お客さん、ここのネジがひっかかって回しても取れなくなっているんです。こういうのはままあるんですが、このままでは外れないんで運べません。」とリーダー。見ると確かにネジが取れなくて、このままでは分解できません。しかたなく「じゃぁ切断しましょう」と私がハンドグラインダーでネジ頭を切り飛ばしました。そのネジはタンス本体と土台がずれない様にしているだけなので、ネジ頭を飛ばしても残ったネジで位置は固定される為、一旦設置してしまえば支障ありません。でも普通は「運べません」じゃ済まないのではないですか?

開始時に思っていたよりも時間がかかり、作業が終わったのは7時を回っていました。無事に作業が終わったかと言えばさにあらず、タンスの土台を運ぶ時、養生していなかった杉の腰壁にバイト君が角をぶつけてしまい、僅かながら傷が付きました。はっきり言って直しようがないのですが、一応不具合としてリーダーに確認させておきました。
翌日、テレビの横に擦り傷をつけられているのも発見、電話すると修理対象にしてくれました。その後対応は遅れたりはしましたが、松本提携の電器店デオデオを通じてキャビネットの一部を交換して貰いました。テレビを運んでいたのもそういえばバイト君でした、カバーもかけずに。。。

これで借家に残していた荷物は片づきました。生活のペースも徐々に立ち上がってきて、料理もぼちぼちこしらえる様になってきました。
料理といえばまだ出来ていない設備が二つ、浄水器シーガルIVの取付と、子世帯ホシザキ食洗機の給湯用ガスボイラの稼働です。ガスボイラは以前使っていたのを外して取っておいたのを再び取り付けたのですが、ボイラに繋がっているリモコンケーブルが5芯あり、その芯数に対応するリモコンがないらしいのです。ですから配管が済んでもボイラを動かすことができないでいました。

11日、シーガルIVの経路が未接続だった水栓がやっとつながりました。ここまで日数がかかったのは、接続口径が国産水栓ネジと異なる(国産1/2inchテーパー、シーガルIVは3/8inchストレート)為で、特注の接続部品を作っていたからです。これでやっと子世帯キッチンが使えるようになり、毎食の調理ができる様になりました。
16日、工務店のFさんが、ガスボイラのリモコンコードの謎が判明したと言ってきました。元々は2芯で配線すべき回路なのを、以前設置した時におそらく手許にあった適当な線を付けていたのが5芯の線だっただけのことでした。仕様はわかったので、リモコンの配線はせずにボイラ内部のコネクタを差し変えて給湯温度80℃設定終了、ホシザキがやっと使えるようになりました。
18日、蔵1階のエアコンが取り付けられました。この部屋には換気扇を付ける予定でしたが、換気扇の経路による音漏れとその対策を考えると費用が結構かさみます。ならばどのみち必要なエアコンを、換気機能付きのものにしようということにして、シャープの5空2.8kWを選びました。室内機のまん中に大きな液晶表示があるデザインの野暮ったさには参りましたが。
26日、OMの立ち下がりダクトにクロスが張られました。一見して色調は無難な黄土色の様ですが、実は古代金色柄というもので、光が当たると鈍く輝いています。
27日、久しぶりに大工さんが来て、階段手すり、すだれ掛け、床の間の釘、クローゼットパイプハンガー等を仕上げて行きました。翌日、残っていた親世帯台所のガスコンロ前パイプラックが取付られ、屋内工事が全て済んだことになりました。

 

第二節 二世帯生活の始まり

5月1日に、家の引渡を受けました。といっても実際は家の鍵を全て譲り受けただけです。この日をもって工務店側がかけていた保険が終了となり、新たにこちらで火災・地震保険に入りました。
ちょうど新一の誕生日と同じ日が、新しい我が家の誕生日となったわけです。

ゴールデンウィークに入ってゆっくり片付け、というわけにはいかず、3日には『家移り』をすることにしていましたので、その準備に追われていました。親戚一同を招待しての新居お披露目の催しです。祝鯛のついた和食膳と赤飯、酒にビール、お土産と引き出物を用意するのに、母はキリキリ舞いです。やっていることは法事と大して変わりはないのですが。
当日、15人ばかり親戚の方々が来てくれました。一番年上のおばあさんはこの家で生まれ育った人で、「この蔵は私が二歳の時にできたんじゃ」と語ってくれます。その他の人達は、和室はともかく、私達子世帯の部屋の様な板張りの部屋には面喰らっていた様に見受けられました。
ひとしきり家の中を見て貰った後、和室二間にお膳を並べて食事にします。私達もその末席に座りましたが、普段こちらの部屋には入らない様心掛けているせいか、どうも他所様の家に上がっている様で落ち着きませんでした。
今日来てくれたのは、おじいさんの三回忌に来てくれていた方々ばかりです。あれからおよそ3年経ち、新しい家となって再び迎えることができたのです。

家移りも滞り無く終えることが出来、いよいよ今度は親の引越がやってきます。毎日岡山と倉敷を往復している両親には、ゴールデンウィークもあっという間に過ぎ去ってしまいました。7日から引越業者の見積を幾つか取り、結局一番安かったのが私達子世帯と同じ松本だったので、そこに依頼することになりました。
持ち家から持ち家の引越であることと、期限に迫られているわけでもないことから、全ての荷物を引越の時に運ぶつもりは、両親にはなかった様です。引越前の箱詰めはほとんど母が行ったそうですが、さすがに手が足りずだいぶ荷物が残った様子でした。荷物の中に、”冷蔵庫の中”と書かれた段ボール箱(特に保冷してあるわけでもありません)が2つ3つあったのには参りましたが。

引越は16日です。午前中に岡山から荷物を運び出し、お昼前にはこちらへトラックがやってきました。作業員は今回は前もって注文付けていたとおりアルバイトはなし、前回来ていたスタッフの顔も見え、午後2時頃には作業が終わっていました。順調に滞りなく済ませる事が出来、一安心です。まだ寝る所も定まらない状態ではありましたが、この日から二世帯の共同生活がスタートしたのです。

さて、引っ越しから1ヶ月を経過した私達の部屋からは、ダンボール箱がやっと姿を消していました。連休明けには昨年末注文していた栗漆塗りのテーブルがやってきました。同じ仕上げのハイバックの椅子の3脚めも揃いました。同じ部屋で気分に合わせて床に座り込む座卓と、椅子に腰掛けるテーブルと、二つの卓が並びました。

以前玄関に作り付けて貰う為に大工さんに作ってもらったヒノキの飾り棚を、私達の部屋の壁に取り付けました。飾り棚の中の壁(背板)は、元々珪藻聚落を塗り込む予定でしたのでベニヤ板のままでしたから、そこに天井の照明と同じ花和紙を張り込みました。

趣味のオーディオは部屋の南側に横に並べて置いています。500枚ばかり取ってあるレコードは、プリント合板製の扉付き整理棚にしまってありました。しかしこの部屋にはそういう人工的な材料の家具は浮いてしまいます。そこでこれの収納も新たに作り直す事にしました。ちょうど材木店でフェアがあって材料も安く購入でき、横幅2m余りのローボード風の収納棚ができました。杉の腰壁と色合いを合わせる為、パインとファカルタの集成材をオイルフィニッシュ仕上げとしました。両サイドにはヒノキ丸太を、扉の取っ手には庭の紅葉の枝を、アクセントとしてつけてみました。

家の外回りの方では、縁側の縁石を移動したり、北側の塀と物置きの工事に着工したりと、まだしばらく工務店との付き合いも続きます。

そうそう、最終の支払いを28日に済ませました。予想していたより大幅に足が出て、結局契約時の見積より7.5%も突出した金額になってしまいました。もちろん、工事中に追加・変更をしたものがその原因のほとんどです。

6月に入っても両親は毎日旧宅へ往復して荷物を運び込んでいます。しばらく旧宅でお留守番していた昭和生まれの愛犬も、やっと連れてこられました。新しい犬小屋を買ってもらって、玄関脇で番をしてくれています。

昭和生まれの"ボク"ちゃん。2002年1月、16年の生涯を全うしました。

季節は梅雨入り前、OMソーラーでは日中に十分な湯沸かしがされています。

 

最終節 新しい羽島の家に住み継ぐ

こうして私達の新しい住処は出来上がりました。
世代が違い好みも異なる者同士がそれぞれに主張や我が儘をぶつけあいながら、なんとか形にすることができました。生活はまだまだこれから組み立ててゆくことになりますので、この先どうなるのか、住んでいる私達にもわかりません。それでもこの新しい家で家族揃って暮らすことが、皆の希望だったのです。

家づくりは大変な事業でした。
予算のやりくりもそうですが、二世帯住宅ならではの困難を身を持って体験できました。それでも家づくりにはそれらマイナス要因を補って余りある収穫があると言えるでしょう。
その一つに、新しい家を作るということは、新しい生活を作り出せるチャンスだということがあります。新しい生活とは、それまでの生活の不満を解消するだけではなく、そこに住み手の夢をいかにして乗せられるかで、その価値が決まります。
「部屋が狭いから広い部屋が欲しい。」と誰もが言いますが、『なぜ広い部屋が欲しいのか』『広い部屋で何をしたいのか』と、抽象的になりがちな不満から具体的な希望へと転換していくこと、それが良い家を作る為のスタートではないでしょうか。我が家では残念ながら部屋そのものが目的として留まってしまった部分(二間和室)もあり、それは少し残念に思います。

もう一つの収穫として、家に関する細かい事項を家族とあれこれ相談することで、それまで知らなかったお互いの人となりを改めて知ったというのも少なからずありました。普段はなかなか話を交わす機会も話題自体も少ないですが、家づくりという共通で奥の深いテーマを語り合ううちに、家族それぞれの本音が浮き出て来ました。私達は二世帯同居というスタイルを取りましたから、よけいに世代間の考え方の違いというのが如実に現われて来て、ある時はそれが障害に、またある時は「なるほど」と参考になった事もあります。

家づくりにおいて一番頭を悩ませるもの、それは我が家もそうだった様に大抵の場合予算不足でしょう。
しかし、何かしら物を創る上で予算と時間の枠を外してしまうと100%満足できるものができるかと問えば、その答えはNOです。何の制限もなくては人はつい工夫をする事を怠ってしまいがちなので、そうなると結果はつまらないものができあがってしまうからです。我が家の気に入っているところ−二階のユニット机,子世帯特注シンク,柿渋塗りの壁,etc−は、どれも予算をいかにして抑えるか智恵を絞った末に出た結論なのです。予算が足りなくてもそれを乗り切る工夫、これは家づくりだけでなく、他の事にも当てはまる大切な事だと思います。

私達は工務店に建築を依頼するという形を取りました。かなりの部分をこちらで自由に決められるという点が色々な所で役にたったし、助かったとも感じています。大工さんは工事半ばでも多くの無理を聞いてくれました。途中変更は時間と費用のロスだけでなく信頼関係にもヒビを入れる事につながるので、本来は避けるべき事ではありますけれど。
初めから最後まで、建築に関わる事は工務店の責任者と直接打ち合わせしてきたことで、トラブルは最小限に抑えられました。人柄も良い方で、技術畑の人ではありましたが営業活動も達者な様で、こちらも気兼ねなく相談できました。むしろ、いつも打ち合わせの時に雑談に花を咲かせ過ぎて、つい時間を費やしてしまう事が欠点と言えば欠点だったかも知れません。いずれにしろ、良い建築相手と巡り合えたことには間違いありません。

 

家づくりを終わってみて、それは想像していた以上に大変な事業であることが実感できました。関連分野は広くそして深く、それらについてほんの表面的な理解を得るだけでも簡単には済みません。けれど、自分達の暮らす家/住処を創り出すのだという意欲と希望を持って当たれば決して難しい事ではなく、逆にそれらを楽しめる様になれるでしょう。今はインターネットを通じて様々な情報が簡単に手に入ります。同じ様に家づくりをしている人々の成功・失敗体験談を、幾らでも探す事が出来ます。求めていた情報が得られた時、思い掛けない有益な情報が得られた時、面倒臭いと感じていた家づくりはだんだんと楽しい事に変わってゆくのではないでしょうか。そうなれば望み通り、いえうまくすると望む以上のマイホームが得られると言えるでしょう。

2年にまたがった私達の家づくりを今振り返ってみると、その時々でそれなりに楽しめたと言えます。もし将来もう一度チャンスに恵まれたら、今の家とは全く別の家を作ってみたいな、とも思っています。

 

こうして羽島の家は新しく生まれ変わりました。
カラ松の床に寝転んでみると、古い地松の梁が横切る杉の天井が様々な表情に見えます。ここの時の流れには時計とカレンダーは似合いません。
少し高くなった吹き抜けには音楽がよく響いてくれて、レコードがCDに優る音を奏でてくれます。
子供が学校から帰ってくると、しばらくして近所の友達が遊びに来ています。前の家では顔を見なかった子らもやってきては、そこらじゅう大音響をたてて走り回っています。自分の小さい頃を思い出してみても、意味もなく走り回れる家にはなぜかみんなが集まっていた様な気がします。

将来子どもはこの家を巣立ち、他の土地で暮らすようになるかも知れません。そうなっても、この家を「故郷の我が家」と思い続けていてくれることを、天井の木目を見上げながらぼんやりと願うのであります。

 

最後に、新しい羽島の家を作ってくれた(有)福井建設と関係業者の皆様、web上で様々な情報や助言を戴いた方々に、感謝の意を表します。

 

おわり。

 

 

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