白壁の町に住み継ぐ家

第六章 真夏の「晴れの国」
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第一節 7月

建前を無事済ませた翌日から、休みもなく屋根工事が始まりました。その日の内に垂木を打ち終わり、1階北側の屋根野地板が張られていました。この時点ではまだ垂木は長めに付けられているので、ところどころ長いものがあります。また、屋根の野地板が張られる前に、母屋の廊下の上に天窓を追加して貰うことにしました。

8日、地元材木業者主催の建材フェアが行われていましたので、家族で出かけてみました。会場アナウンスでちょうとFさん呼び出しがあり、来ていることがわかったので携帯へ連絡し、一緒に回って貰いました。廊下に使う松を確認したり、床柱を吟味したりと、和室関係で見るところが多く、両親とも退屈せずに見られました。特に気になったのが欄間です。特売なので値段も安くなっていましたが、竹と虎というちょっと珍しい彫り物の欄間が母の目に留まりました。そう言えば母と私は寅年、父は長年のタイガースファンです(笑)。この時は買わなかったのですが、翌日それは売れてしまったそうで、母は少し残念そうでした。

10日、2階の入母屋屋根角の尾根になる反り返った材が取り付けられました。前日迄に大工さんが刻んでおいたものだそうです。なんとなく侯爵の髭を連想させる、ちょっと威張った様な印象を受けます。屋根には緑色のルーフィングが張られています。これが張られると当面の雨しのぎにはなるそうです。
屋根の際にずらりと銅の格子が取り付けられていましたので訊ねてみますと、面戸換気口という小屋裏換気のためのものだそうで、昨年くらいから使用し始めた最近の製品だいうことです。隙間が小さいので、大きい虫やコウモリ(!)が入らない点が良いそうです。

この頃より外壁のラスボードが取り付けられています。ベニヤ板の表面に粗いコンクリートを塗りつけた様な板で、強度と耐火性に優れたものです。

 

14日、契約時に定められていた上棟後の中間支払いを済ませました。昼過ぎから連絡していた通り、Fさんと奥さんが来られ、前回と同じように奥さんが札の勘定をしました。

その後少し打ち合わせをしました。工事の方は母屋の屋根が出来たら長屋と蔵の屋根にかかり、それが出来てから瓦を乗せる様になるそうです。それから壁にかかり、その後床を張ることになるので、床材の決定をそろそろ考えておいた方が良い、という事でした。その後床板を張るところは全てカラ松Jパネルとすることにし、物入れ部分には安価な杉の集成材を使うことにしています。

 

ところで、毎年この頃には、庭の木々にセミの抜け殻が見られる様になります。ある日の朝、母屋の縁側下の基礎に登って脱皮した、ニイニイゼミの抜け殻を見つけました。土の中で育っていた頃にはこの基礎はありませんでした。出てくる時には運悪くこんな邪魔物が出来ていたのに、頑張ってそのコンクリートの壁をよじ登ったのでしょう。その日は近くにもう一匹、そして数日の間に同様の抜け殻が幾つか基礎を登ってました。

2000/7/15朝、空蝉

 

18日より屋根瓦を葺く作業が始められました。夏の暑い時期に一番熱くなる場所での作業は、下から想像できる様なものではないのでしょう。職人さんの汗が出きってしまうほどの、灼熱と言っても良いような環境での作業です。
同じ日に、玄関サッシを決める為、不二サッシのカタログを借りました。どれにするか迷う程の事はなく、明るい木目(ヒノキ調)の欄間付き万本格子の引き戸に決めました。

21日、この日は大工さんの人数が増えて8人来られ、長屋の2階の一部が取り除かれました。ここには新たに子世帯寝室となる部屋が追加されます。切り取った松の梁の大きいものを3本ばかり、取って置いて貰いました。
また蔵の屋根も変えられて、新しい垂木と野地板が張られました。

子世帯寝室部分を増築する様子。左画像は長屋を一部取り除いたところ、右画像が新たに建てられた部屋。

26日、子世帯寝室になる、長屋の新しい2階部屋の柱が建てられました。元の古い柱の上に新しい梁を乗せて、その上に乗っている格好になりました。OMソーラーの集熱部分を持つ為、小屋裏が大きく取ってあるので、屋根が高くなっています。そのせいで近所の人からは、あそこは3階建てかと思われてしまった様でした。

28日、トステムのシステムバスが早くも搬入されました。2人で午前中作業しただけで据え付けられました。その後現物を見に行ったのですが、引き戸を開けると揮発物の臭いが鼻につき、1分と見ていられませんでした。我が家の場合、これから後の工期は長いですから、その間にこのVOCはかなり抜けていくと考えられますのでそれほど気にしませんでしたが、ハウスメーカーの住宅の様に早く建ってしまう家では、入居後でも臭ってしまうのではないでしょうか。ただ、水を流して使う場所であることと、換気も常用される部屋であるので、使いだしてからはVOCが抜けるのは早いということだそうです。

 

第二節 8月

8月に入り、強い陽射しが照り続ける中瓦を葺く作業が続き、木工事の方は床を張る段階に移ってきました。

2日、サッシの幾つかが搬入されていました。全てトステムのシンフォニーになっています。
不二サッシ製の玄関引き戸と勝手口の親子ドアも入っていました。

夏休みですから、いつもどこかの子供達が近所で遊んでいます。ある日見慣れない子供が家の中で遊んでいると思いきや、近所に住んでおられる大工さんの息子さん(小3)でした。話を聞くと、よく近所のコンビニへおつかいに来たりしているそうです。

4日より、母屋2階から床(カラ松Jパネル)が張られ始めました。そうすると1階は2階から光が射さなくなったので、やや涼しくなってきています。Jパネルの床が張り終えられると、物置部分には杉の合板の床が張られました。
翌5日にはOMソーラーの棟ダクトが取り付けられていました。まだOMのハンドリングボックスがついていないので、小屋裏は結構広く感じます。

9日、残っていた蔵の西側の土壁を崩してしまいました。蔵は柱と梁だけ残り、骨組みだけが完全に現れる格好になりました。後日、3年前亡くなったおじいさんの姉に当たる92歳のおばあさんが訪ねて来ましたが、蔵を見るなり「これはわたしが2歳の時に建てられたんじゃ」と感慨深げに語っていました。

長屋の入母屋屋根は野地板はほとんど変えずにそのまま使われましたが、瓦は新しく葺き替えられました。壁は汚れていますが、新しい家として蘇りつつある姿は、実物以上にりっぱに思えます。

12日、母屋の和室周辺の床下地コンパネが張られました。平面が出てくると、部屋空間が広く感じられます。
屋根は2階の尾の瓦を重ねていました。一枚ずつ土で固定していく作業は見ているだけでも手間がかかっているのがよくわかります。その日は南の東側と、北の西側の尾が出来ていました。

盆休み明けの17日、長屋の2階にOMソーラーの集熱パネルが5枚乗せられました。
翌18日、2階の窓周囲が工事され、一部サッシが取り付けられていました。

2000/8/17、集熱パネルが乗せられたところ。その屋根の棟瓦はまだ乗せられていない。

瓦の方は、屋根の頂部の棟も乗せ終わりました。大棟は11枚重ねだそうで、下から見上げてもその高さは目立ちます。完成した尾の付いた入母屋屋根は「和風ゴージャス」とでも言うべき印象です。

また、そろそろ電設の仕様も詰めなければなりません。私は自分で作った間取り図を下地にしてドローソフト(Canvas)を用いて、コンセントや電話、LAN配線等を示した図をこしらえて、Fさんと打ち合わせをしました。見積時より、コンセント口数はやはり増えてしまっている様です。

親世帯リビングのサッシには、3月に見に行った家で使われていたのが気に入っていたので、ブラインド内蔵サッシを使おうという話をしていました。しかし取り付けられたのは通常のサッシだったので問い合わせると、話が通っていなかった様でした。結局、そこは不二サッシのブラインド内蔵サッシに変更して、今付いている物は子世帯リビングに転用することにして事なきを得ました。
同時に、台所のレンジフード側壁と、玄関左側壁に明かり取り窓を追加して貰うことにしました。外壁がついてきて、部屋の中が暗いと、母からクレームがついた為です。

母からのクレームは後日もう一件出てきました。台所が暗いのでどうしても天窓が欲しいというのです。しかしその部分の屋根瓦はもう葺き上がっていますから、つけるにしても無駄が発生してしまいます。けれど母に押し切られて天窓を付けることに変更しました。本来なら大きめサイズのを一つで済むところが、梁の位置関係等で小さめのを二つ付けることになりました。”やれやれ、またここでコストアップか”とため息が出ましたが、さすがにこの天窓は効果てきめん、台所の流し前は日中はいつも明るくなっていまして、変更した甲斐は十分あったと思えるようになりました。

 

サッシではお風呂、システムバスのサッシの色で小さな失敗がありました。当初見積では、トステムのサーマルIIという断熱サッシでされており、屋外を黒・室内側を白としていました。その後少しでもコストを削るため、サーマルIIを止め普通のサッシに変更しました。そうなるとサッシの色は屋外色優先の為、室内も黒色になりますが、そこは我慢しようと思っていました。ところが窓自体が小さいものでということもあり、コストはほとんど変わらないのでという事で、ここもトステムのシンフォニーにしてくれたのです。これで他の窓と同じ仕様になり、統一が取れました。が、小さな問題はその統一にありまして、室内側の色が他の窓と同じヒノキになっていたのです。他の部屋は木の窓縁ですが、システムバスの窓枠は白になってますから、ちょっと雰囲気が合わなくなってしまいました。取り付けた後に気がついたので、交換することは止めました。説明しなければ気がつかない程度の事ですからね。

お風呂の窓。左画像は屋外側、右画像が室内・浴室側。

 

30日、母屋2階室内側の引き戸の鴨居といった造作や、コンセントや壁スイッチ用のボックスの取り付けも進んでいました。押入れもそろそろ作り始められていました。

 

第三節 9月

前年ほどの残暑は感じられない9月、室内の造作が続いています。

そろそろ内装も決めなければなりませんが、子世帯リビングの壁がなかな決まりません。妻の要望が腰板を張った壁が希望なのですが、コストが上がるので一旦は止めたところです。しかしなんとかならないかと相談しましたところ、色々な材料を持ってきてくれました。安い材料として中国産の木材があるそうで、中国ヒノキ?や杉を見せてくれました。サンプルではまずまずでしたが、ばらつきの程度が読めないので、決定打とはいきませんでした。この件はこの後も検討が続きます。

 

3日、昼から電設工事が始まり、VAケーブルの敷設が始まっていました。この時ついでに、台所のレンジ用コンセント等を西側に移動する様変更依頼を出しました。それまでの台所収納配置案では、炊飯器や電子レンジなどの調理家電を冷蔵庫に近い東側に置く様考えていましたが、これでは調理換気がうまくない事に気がついたので、慌てて変更して貰いました。と同時に、システムキッチンの収納変更を考える必要も生じていました。

その後も細かい部分でコンセントの位置を変えて貰ったところが2、3あります。電設屋さんは、時には日曜日にも作業に来ていました。

 

6日、OMソーラーのファンコンベクターも据えられました。日照が得られない時に、ボイラーで温められた不凍液をファンコンベクターへ循環させ、それで床下空気を温めて床暖房するという装置です。3日後、ファンコンベクターへの配管工事がなされました。

この頃、壁へ断熱材であるスチレンフォームの取り付けが行われていました。蓄熱コンクリートの下に入れられたものと同じ材質です。

20日、今日は人数が増えてOMソーラー集熱パネルのガラスを乗せる作業が昼頃まで続いていました。計5枚のガラスパネルが乗せられました。翌日板金屋さんが来て、集熱パネル上側の水切りを施工していました。

22日、1Fリビングから床へJパネルが張られ始めていました。養生された上から歩いても、しっかりしていながら堅すぎない床質が伝わってきます。その後親キッチンから子世帯ゾーンへと作業が進みました。母屋の外壁下地のコーキングがほぼ終えられ、蔵の壁には断熱材が仕込まれていました。屋根瓦は最後に残っていた集熱パネルを乗せた屋根の棟を積む作業が行われました。

2000/9/22、北側からの様子。

28日、OMソーラーのダクトが床近くまで取り付けられると共に、ハンドリングボックスの試運転も行われていました。我が家の場合、ダクトは真っ直ぐ降りてきているのではなくて、屋根の関係から、天井付近で二度45゜の角度で折れ曲がっています。

30日、我が家の工事は順調に進んでいますが、小雨降る中、妻の妹夫婦の家が建て前を迎えていました。簡単な上棟式に我が家の家族全員も参加させていただきました。

 

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